~つくりごと~


購入はこちら




月刊『創』2012年7月号原稿

『つくりごと』(高齢者福祉の星岩川徹逮捕の虚構)

著者 大熊一夫

裁判の闇を知ってほしくて私は書いた

検察ストーリーの破れ穴を「推理」と「黙殺」で繕う裁判官たち……

こんな本は、朝日新聞社に勤めていたら、絶対に書けなかった。たとえ私が秋田支局員で全裁判を傍聴できたとしても、法廷のやり取りの中で実感した検察ストーリーのおかしさを、北秋田市まで出かけていちいち確かめる時間などない。「検察の筋書きは間違いだ」と確信できるまでの取材が叶わないなら、「検察の筋書きは正しい」とした判決のおかしさを本に書くことも、全く不可能だ。

この本ができたのは、私がとうの昔に新聞社を辞めていて、長野県の我が家から秋田市の裁判所まで出かける時間がたっぷりあったからである。

でも、傍聴席に座ったからといって、事件の核心に迫れるわけでもない。傍聴席では耳だけが頼りだが、検察官の声は弁護人より小さい。裁判官の声はその検察官よりもっと小さい。特に判決理由の朗読はひどかった。私の聴覚は人並み以上だが、耳をそばだてても、すべてを聴きとることは不可能だ。おそらく傍聴人のほとんども同感だろう。

こんなありさまだから、本気で事件の全貌を知ろうとするなら頼りは活字、つまり供述調書や起訴状や法廷証言の速記録、判決理由書などだ。私も、炭坑地帯にそびえるボタ山のような駄文の山と格闘してみて、初めて、事件の全容が見えた。これは冤罪事件だ、と確信できた。

事件の核心は「あいさつ回り」

冤罪被害者である岩川徹は、かつて日本一の高齢者福祉を築いたことで知られる秋田県旧鷹巣町(現・北秋田市)の元町長。もう一人の被害者・二階堂甚一は、旧鷹巣町に隣接する旧合川町でつつましく暮らす住民だ。

旧鷹巣町と旧合川町は、合併して北秋田市になった。2009年4月の北秋田市長選挙に立候補した岩川にとって、旧合川地区は全く地理不案内な土地。そこで二階堂を運転手兼道案内として雇い、月15万円の報酬を2回、つまり延べ2カ月分支払った。

北秋田市では、国政選挙から自治体規模の選挙までの、ほぼ全ての立候補予定者が「あいさつ回り」と称して全戸を訪れる。岩川も1991年の鷹巣町長選挙初当選の時から、ごく普通の政治活動として、「あいさつ回り」をやってきた。ところが今回、これが公選法違反の買収とされた。「岩川は二階堂に金を渡して票の取りまとめを依頼し、かつ、二階堂自身の票を買った」というのだ。岩川と二階堂は2009年7月13日に逮捕された。

岩川は黙秘を貫いて、368日も拘置所に拘留された。

一方の二階堂は、任意取り調べの初日からすらすらと自白したことになっていて、逮捕前に警察官調書8通、検察官調書3通、逮捕後に警察官調書14通、検察官調書20通を残した。

この膨大な供述調書こそが、二階堂・岩川を有罪に追い込む唯一の証拠。逆にいえば、二階堂が岩川のように黙秘を通したら、おそらく事件はなかった。

私の痛恨の極みは、岩川裁判より10カ月も早く始まった二階堂裁判を聴き損ねたこと。二階堂は、自分の裁判の二審が終わるまで全く争わなかった。一審法廷は2度しか開かれず、2回目の法廷で有罪判決を食らった。二審では弁護士の勧めもあって法廷にも出ずに、控訴を棄却された。岩川が娑婆に戻ったのは、二階堂控訴審が終わった後。そして二階堂の最高裁への上告は棄却されて、有罪がすでに確定している。

これは一見、二階堂の無気力相撲に見えるのだが、絶対に違う。彼は相撲のなんたるかもわからずに土俵に引きずり出されて、プロの相撲取りたち、つまり刑事や検事や裁判官や国選弁護人から袋叩きに合って、最初から土俵上で失神状態だったのだ。こんな二階堂の苦境は、岩川裁判の法廷でのやり取りを聴き、二階堂に何度も会い、その供述調書を読むうちに、わかってきた。

二階堂供述調書のすべてには本人の署名と押印があるから、「きっと悪いことをして自発的に白状に及んだに違いない」とふつうは思うだろう。ところが岩川裁判で、「二階堂供述の大ウソ」の可能性を示す証拠が噴出した。二階堂が口から出まかせで捜査を撹乱させようなんて、そんな才覚のある人物でないことは、会ってみればわかる。とすると、これは取り調べ官の“つくりごと”ということになる。

密室のマインドコントロール

二階堂が体験した「日本流の取り調べ」は、被疑者の発した言葉を口述筆記するような単純なものではない。刑事や検事は、時に威圧的に時に優しい調子で言い寄り、本人の無知に乗じて「私は悪いことをしたのではないか」と思い込ませたり、あきらめ状態にさせたりしながら自供を引き出すプロである。任意の取り調べでも怖いというのに、逮捕されれば一切の支援や情報を断たれ、普通の市民なら心理的精神的大混乱に陥ること間違いなし。そこで供述調書なる文章を作られ、署名押印を求められたら、逆らうのは難しい。

二階堂が支援者や弁護士の力を借りて、こんなマインドコントロール状態から覚醒したのは、自身の控訴審が棄却された後のことである。

疑いを掛けられた者が、密室の中で検察官に翻弄される怖さについては、冤罪犠牲者として有名になった元厚生省局長の村木厚子が、本書第9章で「密室魔術の現実と提言30カ条」として語っている。

さて、そんな二階堂供述調書の“つくりごと”を土台にした検察ストーリーは、こうなった。

「2009年2月16日、北秋田市米内沢字諏訪岱のローソン駐車場にて、岩川が運転してきた車の中で、岩川が二階堂に、買収資金15万円を渡して、二階堂の票を買うとともに二階堂に票の取りまとめを依頼した」

「さらに翌月の3月17日、北秋田市川井字松石殿の松ヶ丘グラウンドわきの路上にて、止めた岩川の車の中で、岩川が二階堂に、買収資金15万円を渡して、二階堂の票を買うとともに二階堂に票の取りまとめを依頼した」

ところが岩川裁判の法廷で、金銭授受の「日にち」も「場所」も「金銭授受の目的」も全く違うという証拠や証言が、いっぱい出てきた。どの証拠も証言も説得力があった。検察側がそれを打ち破ったようには見えなかった。

岩川裁判の一審には、検察側から3人の重要証人が登場した。1人目は、二階堂の親友の澤藤孝志。岩川と対立する津谷永光候補(現市長)の合川地区後援会事務局次長の肩書を持つ。2人目の森山智文は、二階堂の取り調べを担当した検事。3人目の三沢敏行は、津谷の県議時代の秘書で津谷後援会幹事長。

澤藤は、刑事や検事から4通の供述調書を取られた。いや、「積極的に取らせた」のだと私は思っている。調書の内容は、二階堂から聞いたとされる「岩川から雇われて選挙運動をやった」という話で、これが親友を地獄に突き落とすきっかけとなった。

おそらく、政敵の岩川を倒したい一念で供述調書の作成に協力したのだろうが、親友が逮捕されたのは想定外だった。それで法廷に出てくると、自らの署名押印のある供述調書の内容を「つくりごと」と言い放った。

「その調書だめですよ」

「冗談ではありません。まず、その調書、だめですよ。私、一つも確認しないで、目も通してないし、よく作った。そんな、やめましょう。これ話にならない」
「(弁護人から『澤藤さんね、そのときに検事さんから電話の通話記録を見せられて、2月17日の午前7時24分に、二階堂さんからあなたのところに電話があったと、そういう通話記録を見せられたという記憶はありますか』と聞かれて)ありません。それ、全然ないですよ、1回も。空想も甚だしいよ、嫌だこと。そんな作り事はやめてください」
「(『これは、澤藤さんの調書、これを基にして逮捕されたという風に思ってないですか』と弁護人から聞かれて)その調書の中身、ぜんぜんわかりません。逮捕ということは、非常に私は怖いですよ。私の調書で逮捕になると、大変なことですよ、私はその調書を見せてくれますか。……私はやめる、もう、私は拒否します。私の調書のおかげで逮捕とは、私はもう答えません」

次に登場した森山智文は、二階堂供述調書は自発的な発言によって作られたもので、信用性が高い、といった趣旨を述べた。これは水かけ論の片方の言い分でしかなかった(密室でつくられた調書の信用性を本気で証明したければ、全取り調べ状況の録音・録画を提出するしかない!)。

3人目の三沢敏行は、弁護側の証拠を粉砕するための隠し玉。検察側は論告求刑公判で弾劾証拠と銘打って岩川と対立する候補者の津谷永光のチラシを出した。弾劾証拠とは相手の出した証拠の効力を砕くために突然出す証拠のこと。

岩川は法廷で「2009年1月に二階堂さんから津谷永光のチラシをもらった」と語った。岩川と二階堂のアルバイト関係が一月から始まったのでは、検察にとって都合が悪い。そこで三沢に「チラシは3月10日以前には絶対に存在し得ないはず」と証言させた。後援会事務所のパソコンの記録も出した。

岩川所持の1月チラシは、一見したところ弾劾証拠と同じだが、詳しく見ると番地や電話番号の表現にも、印刷の仕上がりにも、明らかな違いがあった。この点を弁護側から突かれた三沢は顔を紅潮させて絶句した。弾劾証拠はこけてしまった。

そこで、検察ストーリーを崩す弁護側の証拠だが、詳しくは本書をお読みいただくしかない。一言だけいえば、支援者の日記やパソコンや証言の数々で、二階堂供述調書を完ぺきに粉砕できた……ように私には見えた。

しかし、秋田地裁一審裁判官の馬場純夫も、二審裁判官の卯木誠(裁判長)、山崎克人、三井大有の3人も、二階堂供述調書を「信用性あり」とし、二階堂供述調書のおかしさを証明するすべての証拠を、推理・憶測・黙殺・屁理屈を駆使して葬った。そして、今、岩川は最高裁に上告中である(2013年11月、最高裁は上告を棄却した)。

(敬称略)

~こんなまちなら老後は安心!~


購入はこちら



あとがき

高齢化率が34%に達した超高齢社会・北秋田市の現市長が目指す高齢者福祉政策は、『身の丈福祉』だそうです。 具体的な中身は、介護保険の上乗せサービス全廃、横出しサービスの縮小的見直し、自治体が責任をもつグループホームの廃止、介護保険利用料値上げなどです。
つまり、自治体としては最低限のことしかしない。結果として、「金のある者は、福祉を金で買え。金のない者は、この程度で我慢しろ」ということになります。
自治体の責任放棄です。

東大名誉教授の村上陽一郎さんは、著書でこう述べています。
「身の丈にあった生き方をしなさい、という識者がいます。自分の限界を最初から決めてしまって、自分の限界はこのへんにあるからこれ以上のことはやらないという生き方です。いまの貧しい点を自覚し、乗りこえる、超えたい、と思って努力する。そんなことまで否定されてしまう。努力に対して冷笑したり、意味を認めない、価値を認めないという方向に社会が進むとすれば、そのひとつの原因が『身の丈』という考え方だとおもいます」

鷹巣福祉の真髄は、介護を必要とする高齢者と、そのご家族を守るためのセーフティーネットです。これがあるからこそ、住民は安心して老いることができたのです。そのセーフティーネットは、自治体の責任において構築されたものです。

このシステムが財政的に立ち行かなくなったというのなら、『改革』もいいでしょう。しかし、鷹巣福祉システムは財政的にも健全に機能していました。
とすれば、この乱暴な『改革』は「北秋田市民にセーフティーネットはいらない」「高齢者の尊厳などどうでもよい」という冷たい思想に基づくものなのでしょうか。
私は、高齢者福祉政策は自治体の最重要課題だと思っています。しかし、北秋田市で『改革』を口にする人々は、福祉を切り捨てて、何の心の痛みも感じていないふしがあります。
こんな勢力とは対決するしかありません。

この本は、私たちの主張、私たちの理論を凝縮したものです。
本のきっかけをつくった鷹巣福祉応援団長ともいえる大熊一夫さん。熱心に資料収集して本作りを下から支えてくれた飯田勤さん。福祉宣教師といった趣の大熊由紀子さん。鷹巣福祉を映像で全国に伝道した羽田澄子さん。「ケアタウンたかのす」という、心やすらぐ美しい建築をプレゼントしてくれた、いまは亡き外山義さん。インタビューに快く応じてくれた多くの皆さん。おかげさまで、すばらしい本が出来ました。本当に有難うございました。

岩川 徹